【世界史一問一答】初級#2(31〜60)
前回に引き続き、世界史の一問一答を30題用意しました!
答えは問題の下にあります。
- 1906年、ロシアで()が首相となりミールの解体など土地改革を強行したが、その政策は行き詰まった。
- 日露戦争の講和条約である()条約の結果、日本は韓国の保護権、()の租借権、南樺太の領有権などを手に入れた。
- 1911年にジャワ中部で結成された民族運動団体を()といい、オランダに対して自治などを要求し、インドネシア独立運動への口火を切った。
- 1914年以来イギリスの保護国になっていたエジプトでは、第一次世界大戦後()を中心とした民族運動が活発となり、22年には保護権が廃止され、()として独立した。
- 1925年、上海の労働者が起こした反帝国主義のストライキは()事件と呼ばれる。
- 1907年の()において、イラン北部はロシアの、イラン南部と()はイギリスの勢力圏となり、()は相互不干渉とされた。
- ロシアの三月革命後に成立した臨時政府は()党が中心の()政権であり、後に社会革命党右派の()が首相に就任した。
- ()は初代外務人民委員としてドイツとの単独講和交渉を行った。
- イギリスは、()年の第5回選挙法改正で()歳以上の成年男女の普通選挙が実現した。
- 第一次世界大戦末期のドイツ革命によって()党の()が首相となり、政権を担当した。
- ()年に始まった第一次五カ年計画では、()の発達に重きを置き、農業では()(集団農場)、()(国営農場)を組織した。
- モスクワで開催された1935年の()大会では、あらゆる反ファシズム勢力を結集する()戦術が採択された。
- 1937年に中国共産党の紅軍が国共合作で蒋介石の統一指揮下に入ってからの呼び名を()という。
- イタリアは()年に、日本とドイツに次いで国際連盟から脱退した。
- インドシナ戦争に際して、1954年に締結された()協定で、北緯()度線を暫定的境界線とすることや、()年後の南北統一選挙が決定された。
- 1947年、()はパレスチナをユダヤ人とアラブ人の両国家に分割する()を決議した。
- ()年、エジプトの()大統領のスエズ運河国有化宣言に端を発し、第二次中東戦争、別名()が始まった
- 1979年に()条約が締結され、これに基づいて82年に()がエジプトに返還された。
- パレスチナ暫定自治協定に基づき、()とヨルダン川西岸の()で先行自治が開始された。
- ()年、ソ連のスターリン批判以来、()が始まり中ソ関係は悪化した。
- ()年、()において中国代表権は台湾国民政府(中華民国)から中華人民共和国に移行した。
- 1997年、()国家主席の時代には、イギリスから()が返還された。
- インドネシアの()大統領がとった()体制とは、民族主義、イスラーム、共産党の結束を意味する。
- 1954年、アメリカが主導する反共軍事同盟である()機構(SEATO)が結成された。
- 古来より多様な言語がもたらされた南アジアでは、現在もタミル語などの()系やヒンディー語などの()系などの諸言語が存在する。
- パキスタンではインドからの分離独立を訴えた()が初代総督になった。
- アルジェリアでは、1954年からFLN(アルジェリア民族解放戦線)による独立闘争が始まり、フランスの()大統領は、62年の()協定で独立を承認した。
- ()年、ガーナが独立し、()が初代大統領になった。
- ()年、ギニアが独立し、()が初代大統領となった。
- 1969年、()に対抗して、イギリスが中心となり()が成立した。
- ストルイピン
- ポーツマス、関東州
- サレカット=イスラーム
- ワフド党、エジプト王国
- 五・三〇
- 英露協商、アフガニスタン、チベット
- 立憲君主、ブルジョワ、ケレンスキー
- トロツキー
- 1928、21
- 社会民主、エーベルト
- 1928、重工業、コルホーズ、ソフホーズ
- コミンテルン第7回、人民戦線
- 八路軍
- 1937
- ジュネーブ休戦、17、2
- 国連総会、パレスチナ分割
- 1956、ナセル、スエズ戦争(スエズ動乱)
- エジプト=イスラエル、シナイ半島
- ガザ地区、イェリコ
- 1956、中ソ論争
- 1971、国連総会
- 江沢民、香港
- スカルノ、ナサコム(NASAKOM)
- 東南アジア条約
- ラヴィダ、インド=ヨーロッパ
- ジンナー
- ド=ゴール、エヴィアン
- 1957、エンクルマ
- 1958、セク=トゥーレ
- EEC(ヨーロッパ経済共同体)、EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)