夏目漱石『明暗』
ドロドロの人間ドラマはお好きですか?
大好きという人は、ぜひこの『明暗』を読んでみてください。
夏目漱石の最晩年の作品で、漱石の死によって途中で終わってしまった未完の絶筆なのです。
彼が最期に残した作品に込められたメッセージとはーーー。
今回は夏目漱石『明暗』についてお話しして行きます。
01.ざっくりどんな話?
超ドロドロの人間ドラマです。
新潮文庫のあらすじを引用してみます。
勤め先の社長夫人の仲立ちで現在の妻お延と結婚し、平凡な毎日を送る津田には、お延と知り合う前に将来を誓い合った清子という女性がいた。ある日津田を捨て、自分の友人に嫁いでいった清子が、一人温泉場に滞在していることを知った津田は、秘かに彼女の元へと向かった……。濃密な人間ドラマのゆくすえを描いて、日本近代小説の最高峰となった漱石未完の絶筆。
ヤバイですよね。
お延と結婚したのに、未だに清子のことを忘れられず、しかも自分の本性を隠し続ける津田。
津田の過去を詮索し、なんとか彼の化けの皮を剥がそうとするお延。
津田とお延との不和を予測しながらも、津田に清子が温泉にいることを知らせる吉川夫人。
津田やお延に付きまとい、相手の嫌がることをあえてし続ける小林。
津田との過去を抱えながらも、温泉街では自然に津田に振る舞う清子。
全員エゴ丸出しです。
この小説では、それぞれのキャラがそれぞれの思惑を抱え、それが余すところなく描写されています。
要は「人間の裸の心」を描ききっているのです。
物語に流れるイメージ色は、常にグレー。
黒でもなく白でもない。
そんな超ドロドロの人間ドラマが繰り広げられます。
02.『明暗』の特徴
この物語には、いくつか特徴があります。
たとえば、『明暗』は他の漱石の作品とは違い、複数の「視点」から描かれます。
『吾輩は猫である』は、猫の視点から描かれています。
『こころ』は「先生の遺書」として、先生の視点から描かれています。
しかし『明暗』では、津田、お延、お秀(津田の妹)など、様々な人の視点で物語が進んで行きます。
これによって、それぞれのキャラの心の中がリアルに描写されることになります。
さらに、ドストエフスキーとのつながりをも感じさせる作品なのです。
この『明暗』は漱石の未完の絶筆です。
漱石が最期にどのような思想を持っていたのか、またどのような意図でこの作品を書いたのか、作中のキャラの発言を通して垣間見ることができます。
ドストエフスキーも『カラマーゾフの兄弟』を書き上げることなく亡くなっているので、どこか似ているところがあるのかもしれませんね。
03.おわりに
私は今まで漱石の作品をたくさん読んできました。
でもこの『明暗』は、ほかのどの作品とも異なっており、読後の感想も異なっていました。
個人的には結構好きな部類の作品でした。
私なりの評価は、
読みやすさ………★★★☆☆
ストーリー………★★★★★
面白さ……………★★★★☆
総合………………★★★★☆
という感じです。
それではこの辺で。失礼します。