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【世界史論述】広すぎて強すぎるモンゴル帝国

今回の問題はコチラ。
 

なぜ、元は東西に渡る広大な交易を実現できたのか。
元の制度に注目しながら説明せよ。(100文字程度)

 
今回は「3つのC」のうち、次のものを使って考えます。

 

 


Causal relationship (因果関係)
Contrast(対比)

問題文に「元『は』……」とあることからも、「元の特徴的な制度」を考えればOkです。「対比」の考えですね。

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ズバリ、ここは「駅伝制」と「交鈔」を挙げたいところです。

「駅伝制(ジャムチ)」のおかげで広大な土地の統治が可能になり、さらに陸路が発展しました。

「交鈔」とは、今で言う「お札」です。
では、これの何がすごかったのか?

「モノとモノ」や「モノと金/銀/銅」での取引と「比べる」と分かりやすいです。

 

ローマから牛を連れて中国まで行き、そしてコメを持ち帰る……。
面倒ですよね。

ローマから牛を連れて行って、銅銭を受け取る……。
これはまだマシですね。

ですが、紙幣(紙のお札)でやり取りをした方が、重さも軽いし、圧倒的に便利です。これが遠方との交易が盛んになりなるキッカケになりました。

なので、とりあえずは上の二つを挙げればOKです。
ちなみに、上級者むけに、もう一つ観点を挙げておきます。

「元が宗教に寛容だったこと」です。

色目人として、モンゴル族以外の民族も政治に参加していましたね。
さらに、プラノ・カルピニらの宣教師がやって来たこともわかるように、元が宗教に寛容だったことで、東西の交易が盛んになったと言えます。

(「●●教以外禁止!」となると、他の宗教の国とは付き合いにくくなるので。)

以上のことから、解答例は以下のようになります。

 

駅伝制により交通システムが整えられ、さらに交鈔によって遠方との交易が容易になったから。また、色目人の登用やキリスト教宣教師の来朝からもわかるように、元が宗教に寛容だったことも、東西交易の実現に寄与したと考えられる。

 

今回はここまd。