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【世界史論述】ウォールマリアを越える「進撃の異民族」

今回の問題はコチラ。

中国はこれまで異民族による侵略と征服を何度も受けてきた。
4世紀から17世紀までの北方民族による王朝の歴史について、北方民族による王朝が中国に与えた影響をふまえて説明せよ。(300字程度)

次のように考えていきます。

 

 これは「3つのC」のうち

Causal relationship(因果関係)
Change(変化)
Contrast(対比)

すべてを問う問題です。

 

まず、「4世紀から17世紀」という時代設定から、北方民族による王朝をピックアップしましょう。また、「支配に対抗していた王朝」も一緒にピックアップすると、頭が整理されます。

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4c:北魏(vs.南朝
10c:遼(vs.北宋
12c:金(vs.南宋
13c:元(全土を統一)
17c:清(全土を統一) 

「Change」については、これをもとに書けばOKです。

「Contrast」については、元と清に注目。
北魏・遼・金の支配は中国の一部にとどまりました。
比べて、この二王朝は、中国全土を支配しているのです。
この部分を「対比」として書けば論の流れがクリアになります。

「Causal relationship」つまり「影響」(結果)についてはどうでしょう。
ここでもやはり元・清に注目。

 

元をふくむモンゴル語帝国は、東アジアからヨーロッパにかけての大帝国を実現しました。それにより、ヨーロッパと中国との交流が活発化したのです。
プラノ・カルティニらが中国にやってきたのが一例ですね。

また、清は満州族による王朝で、中国に満州族の文化が導入されることになりました。「辮髪」の強制などが一例ですね。

 

これらを「影響」として書けばOKです。

 

解答例は以下のようになります。

4世紀には南朝と並立し、鮮卑による北魏が成立した。北宋期には遼が、南宋期には金が成立した。北宋の澶淵の盟に代表されるように、宋代は異民族王朝に対して和平策がとられた。そして13世紀には元が、17世紀には清が成立した。北魏・遼・金の支配は中国の一部にとどまったのに対して、元・清は中国全土の支配を実現した。元を含むモンゴル帝国は、東アジアからヨーロッパにかけての大帝国を実現した。そのため、キリスト教宣教師が来朝するなど、東西の交流が活発化した。また、清では辮髪に代表されるように、中国に北方民族の文化が導入された。このように、北方民族による支配は、東西交易の活発化や他文化との交流を促したという影響を及ぼした。

 

今日はここまで。