【世界史論述】安史の乱が起こった結果www
今回の問題はコチラ。
今回は「3つのC」のうち、次のものを使います。
Causal relationship(因果関係)
まず、安史の乱の「影響」を考えましょう。
安史の乱が起こったことで、中央政府の統制力は弱まり、有力な節度使が地方の行政・財政の権力をにぎって自立するようになりました。(これを「藩鎮」といいます。)
また、社会混乱によって、均田制と租庸調制が完全に崩壊し、財政再建のために両税法が制定されました。
この「租庸調制・均田制・府兵制」は、いわば唐の「3点セット」で、コレが崩壊したことで、唐は一気に衰退します。(「3点セット」と唐の関係は、コチラの記事をご覧ください。)
上記の2つが、安史の乱の「影響」です。
それでは、安史の乱の「意義」は何か。
「意義」とは、ある出来事を一歩引いた視点で見て、前後の歴史の中でどんな重要性や意味を持つのか、ということです。
ズバリ、「唐衰退のターニングポイントとなった」です。
これまでは唐は東アジアでも最強の地位を占めていました。
しかし、安史の乱をキッカケに、唐は衰退、やがて滅亡するのです。
ちなみに、安史の乱は755~763年。
日本で菅原道真が遣唐使を廃止したのは894年。(「白紙894に戻す、遣唐使」)
菅原道真は「もう唐はアカンで」と見限りをつけたのです。
解答例は以下のようになります。
安史の乱後、節度使が内地にも設置され、行政権・財政権も得た節度使は地方で自立して唐の分裂傾向が強まった。また、社会混乱によって租庸調制・均田制が崩壊し、新税法である両税法も最盛期の国力回復にはつながらず、安史の乱は唐が衰退する転換点となった。
今回はここまで。